「下手ウマのコゾフ」礼賛  − by Kinoshita −

「下手」という言葉でFREEを語るのに最も多いのは「下手ウマのコゾフ」でしょうか。確かにねぇ、クスリでイッてたり、その後遺症に悩まされていた後期のライブでは悲惨なものがあります。もう無茶苦茶な時も・・・(泣)
しかぁ〜し!それは彼のキャリアの一部でしかない。大変な誤解と言えます。そのポイントを挙げてみましょう。
1. 初期の彼は大変な早弾きだった。
2. ギターのアプローチ面で徐々に宗旨変えした。
3. 彼はコードに独特なセンスを込めて、実に響きに富んだコードを編み出していた。
4. 新しい独自のサウンド作りとして、レズリースピーカーとギターの相性を追求していた。
5. 16ビートのファンキーさと8ビートのブルージーなギターの融合を試みていた。

早弾きコゾフぅ〜?信じられないでしょうかね。オフィシャル盤ならデビュー作の「TONS OF SOBS」でその姿は垣間見られるはずです。あのレコーディングは彼の2度目のスタジオセッション。殆んどが一発録りのインプロヴィゼイションです。と言いながら、「Walk In My Shadow」のイントロではフィードバックを重ねてハーモニーにするアイディアも見せていますね。それに「Going Down Slow」などでハッと目が覚めるような早弾きを随所で見せています。

Paris Au Golf Drouot shows, April 1969
ところが、アタクシは腰抜かす思いをしたことがあります。それはね・・・FREEの音源でも最初期の、1969年のパリでのライブをプライベート録音で聴いた時です。憑き物が憑いたような早弾きをキメまくるコゾフ。CREAM時代のクラプトンのように攻撃的であり、更にクラプトンにはない狂気のちらつく壮絶なブルーズギターでロジャースの唄の合間を縫い、時には唄を制して切り込んでくる圧倒的な早弾きは「凄まじい」の一言でした。ゲイリー・ムーアかいな?それぐらい猛然たるプレイです。彼が「英国三大ギタリスト、緑神ピーター・グリーンなどに続くギタリスト」と評され、クラブシーンから浮上していったのもそれなりの理由があったのですよ。ただの「下手ウマ」だったらそうはなっていませんよね。
第二点、ギターアプローチの宗旨変え?・・・これはね、尊敬していたピーター・グリーンと同様、「如何に少ない音数で多くの感情を聞き手に伝えるか。」に関心が向き、音数の多い長いソロが無意味に思えるようになったため、です。作曲チームのアプローチの変化に沿ったギターワークを考えることで、こういう視点が生まれたのでしょう。死ぬ間際のインタビューでは「僕は長いギターソロには全く興味ないね。曲の中で唄を押し出したり、絡んだり、そうやって唄を更に良くするようなプレイが好きなのさ。それはポールに出会ったからだろうね。僕とポールはお互いのプレイによって成長してきたんだ。」と話していました。この音数の少ないアプローチだけを聴いて「下手ウマ」の根拠としてしまうのも仕方ないかもしれません。
第三点・・・「コード感の個性」、これ大変重要なポイントです。これに気づかされたのは、日本人ギタリストのコラムだったんですよ。その人は・・・元GAROの故・日高富明氏です。あれは1972年頃だったかな。彼曰く「バックがトリオなので、バッキングサウンドに広がりを持たせるため、ベースとのコンビネーションで実に幅広いコードのバリエーションを研究している。」これ、ピーンと来たですね。実は、「Fire & Water」のサビのコードを拾っていたら、どうも単純なB→D→A→Bではない、なんか違った響きがするのに気づいてたんですよ。コゾフのコードワークは、主に開放弦を生かした響きを大切にしています。また、「長調」でも「短調」でもない響きで、リスナーの心理状態にその曲のイメージを委ねるようにしたい、とも言っていました。更に、押弦はたった2つ〜3つなのに、豊
かな響きに聞こえるポジショニングなど、実に深く「コードの響き」を考えていたのです。大ヒット曲「All Right Now」のあの有名なイントロ。ビデオをお持ちの方はよぉ〜くご覧ください。彼の左小指が6弦5フレットを押さえているのが判りますか?フッフッフ・・・。彼は個々の弦の、ポジション違いによる響きの違いなんかも考えてコードを押さえていたのです。

第四点・・・コゾフのサウンド作りってあまり注目されることはないですが、本人は相当サウンドに拘りがあったと考えられます。ギターに関しては、ギター少年丸出しで自分のヒーローと同じギターを弾きたい、というのが一番だったようですが、それらを入手してからというもの、少なくともどの音源を聴いても、極上のギターサウンドを享受することが出来ます。基本的にライブではPAF搭載のレス・ポール&100Wマーシャルでノー・エフェクトがメインですが、スタジオワークではもっとキメの細かいサウンド追求が見られます。例えばフェンダーの黒パネル(65年前後)のスーパーリバーブなんかも良く使っていたようですね。「FIRE & WATER」の神々しいイントロなど、おそらくフェンダーアンプの音でしょう。コゾフのサウンドと機材については、別に述べるとして、中でも特筆すべきなのが、通常はハモンドオルガンとセットで使用されるレズリースピーカー(真空管アンプ内蔵)の活用でしょう。これは箱の中で高域用と低域用のスピーカーが回ってちょっと独特の「揺れ感」を出すもので、ハモンドオルガンには必須のものです。コゾフはこの「波打つような揺れ感」のサウンドとギターとの組
み合わせに取り組み、FREE一時解散後に出した「KOSSOFF KIRKE TETSU & RABITT」でその成果が現れます。ストラトキャスターとレズリーを組み合わせたそのサウンドは、バッキングではジミヘンスタイルのコードバッキングと「波打つような揺れ感」で広がりを出し、ソロでは深く歪ませた、呻くようなリードトーンがうねりながら天空を駈け上っていくようなイメージを聴く者に抱かせます。特にロジャースがそのアプローチを好み、「Wishing Well」と「Come Together In The Morning」のプレイをコゾフのベストプレイであり、FREEの楽曲の中で最も好きな忘れられない曲としています。ただ、ステージではレズリーの出力不足からか(60W程度しかない)、ステージでは一貫してマーシャル100Wを使用、後には珍しくレズリーの代わりにフェイズシフターを使用していました。
第五点・・・リズムアプローチです。FREE解散後リリースされた彼のソロアルバムと、その後発表された彼のソロバンドBACK STREET CRAWLERでは、折りしも流行の兆しを見せていた、ソウルジャズだとかクロスオーバーだとか言われる16ビートのファンキーなリズムアプローチが耳を引きます。ソロ作では元アヴェレージホワイトバンドの鍵盤奏者ジーン・ラッセルが参加し、少々ジャジーなタッチのコード進行にタイトで細かいリズムを持つ曲を提供、また、ソロバンドでも同様でした。このリズムに、大きな8ビートのノリのギターワークを乗せる、それがコゾフの晩年試みていたアプローチです。バンドのデビュー作「BAND PLAYS ON」の1曲目「Who Do Woman」や遺作となった「Second Street」の「Stop Doing What You're Doing」などで形にしていますが、中途で死の時を迎えてしまいます。
死の直前のインタビューで、「僕は機材の細かいことは判らないし、ステージではエキサイトしちゃってエフェクターなんか踏めないんだよね。」なんて言ってますが、それだけテンションの高いプレイをしていたために、エフェクターを踏んだり調整したりするのは煩わしかったのでしょう。
さぁ〜て、これだけのギタリストを「下手ウマ」と言いますかね?
コゾフの訃報を聞いた夜