コゾフの訃報を聞いた夜  − by Kinoshita −

この酔っ払い蛮魔棲が、のゎーんでこんなにコゾフに固執するのか。それはコゾフの訃報を聞いた夜に起因します。あれは高校1年の、まだ寒い青森の春の日曜深夜でした。

例によって、真夜中までFREEのレコードをとっかえひっかえターンテーブルに載せては「くゎっこいい〜っ!」と身を捩りながら聴いていたワケです。ま、夜中の2時頃にもなったし明日は月曜、そろそろ寝るかな、とステレオを切り、枕元のラジオをON・・・。青森では日曜深夜に深夜放送は入りません。仕方がないので「ガ〜ガ〜ピ〜ピ〜」と東京の局に合わせていたら、どうも「All Right Now」のイントロが聴こえる気がする・・・。
どうにか合わせると、やはり「All Right Now」のスタジオテイクでした。「おぉ!こんな時期になんでだぁ〜?なんかニュースでもあるのかなぁ・・・。」と喜んで聴いてい

たら程なく曲が終わり、DJが・・・「という訳で、突然飛び込んできました元FREEのギタリスト・ポールコゾフ死去のニュースをお伝えし、そのコゾフを偲んでFREE最大のヒット曲オールライトナウをお送りしました。」
「・・・え?・・・コゾフが?・・・死んだ・・・?」始めは事態が把握出来ず、ぽかぁ〜んとしていましたが、やがて得体の知れない感情がぐわ〜っと湧き上がってきてどうすることも出来ない。「なんでだよっ!」・・・いや、解っていました。その半年くらい前に彼は心不全で35分間も心臓が停止するというアクシデントに遭っていたんです。麻薬中毒の後遺症であることは、彼のファンなら百も承知でした。しかし、ようやくそこから立ち直り、自らのリーダーバンドBACK STREET CRAWLERで短期ツアーにも出られるようになって、なにかのフェスティバルで大好評を博したという雑誌「音楽専科」のレポートとカラーグラビアを切り抜いて友達から200円で買ったのはほんの数ヶ月前・・・。次のアルバムの制作に入り、プロモーションのため渡米したというニュースも聞いていました。いよいよ彼の本当の再起動が始まったばかりだったのです。
真っ白な頭の中を、グラビアやレコードのジャケットでしか知らない彼の顔がグルグル回り、枕に顔を深く埋めて激しい嗚咽を漏らしていました。自分の血族でもない、日本人でも、知人でもない、会った事もない人の死なのに、どうしてあれほど悲しかったのでしょうかねぇ。人の死によって生まれて初めて泣いた夜でした。
流石にその後は一睡も出来ず学校へ行き、グラビアを売ってくれた友人に「コゾフが・・・死んじゃったよ・・・。」とようやく伝え、その日から数日、このオニ蛮魔棲も「使い物」になりませんでした。

それから数ヵ月後、遺作となったBACK STREET CRAWLERのセカンドアルバム「SECOND STREET」を予約して英国盤を買い(未だ再発になりませんが)、ポロポ
ロと涙を流しながら聴きました。曲調が哀愁を帯びたものも多く、彼のギターも咽び泣くようなプレイ。ホントに哀しい作品でした。ジャケ裏には「Dedicate to Koss」の文字・・・。この中に収録された一曲「Blue Soul」が、後に彼を表すキーワードともなりましたね。

それにしても何故偶然あの夜、あの放送を聞いたのでしょうねぇ。まるで彼が彼岸への旅立ちを教えに来たかのようです。そして、友達から買った「音楽専科」誌のグラビアは今もしっかりカバーを掛けられ、蛮魔棲のレスポール達と共にリビングルームの壁に掛かっています。