Paul Rodgers(ポール・ロジャース) Vocal
1949年12月17日 英国北部ミドルズバラ生まれ。12歳頃からR&Rに目覚め、次第にOtis Reddingを筆頭にした黒人音楽に魅入られていく。12歳頃からバンド活動を始め、ROAD RUNNERS(その後WILD FLOWERSに改名)というバンドで17歳の時ロンドンへ進出、成果なく地元へ帰る仲間と袂を分かちロンドンで活動を始め、ブルーズバンド・BROWN SUGARで活動中にポール・コゾフ、サイモン・カークと知り合う。申し出を受けてジャムをしたコゾフのギターに感銘を受け、新バンド結成を決意。世界最高峰との評価を得たその歌唱力、作曲能力でバンドを一流のバンドへと引き上げた。
1971年FREEの最初の解散後は一時的にPEACEというバンドで活動、アンディの呼び掛けにより再結成し、Free At last、Heartbreakerの2枚のアルバムを発表、FREEはその生命を終える。FREE解散後はサイモンと共にレーベルメイトだったMOTT THE HOOPLEのミック・ラルフス、元KING CRIMSONのボズ・バレルとBAD COMPANYを結成し大活躍。1980年にLough Diamond発表後に脱退。ソロアルバムCut Loose発表、ジミー・ペイジとTHE FIRM結成など、常に一線で活躍する。しばらくの休業の後1993年にブルーズアルバムMuddy Water Bluesで再び脚光を浴び、1996年に2ndソロアルバムNow発表。以降は絶え間なくソロツアー、BAD COMPANYへの復帰と精力的に活動を継続している。
Paul Kossoff(ポール・コゾフ) Guitar
1950年9月14日、ロンドン北部ハムステッド生まれ。父・デヴィッド・コゾフは俳優。名門私立校に通っていたが、悪い友人達とクスリをやっているのを見つかり公立校へ転校。父の勧めでクラシックギターを数年習うが、ある日ブルースブレイカーズのライブでエリック・クラプトンのプレイを目の当たりにし、これこそが自分の求める道だと決心、ブルーズギタリストを志す。ロンドンのセルマーズという楽器店で働きながらBLACK CAT BONESに加入。更にオリジナルを模索しているその時、ロジャースに遭遇し、ニューバンド結成を持ちかける。FREEの創始者。FREEを自分のいるべき場として心から愛していたが、メンバー間の確執によって崩壊しているFREEの中で次第に精神的安定を欠き、解散前後からドラッグに溺れる。
1973年、心身共に憔悴しきったコゾフはFREEを脱退、一時療養生活を送りその後ソロギタリストとして復活、BAD COMPANYの立上げにも声はかかっていたが、体調不良のため断念。ソロアルバムBack Street Crawler発表後に自身のバンドBACK STREET CRAWLERを結成する。1st アルバムThe Band Plays On でシーンに迎えられ、2ndアルバムのSecond Streetレコーディングと米国プロモーション途中の1976年3月19日、ドラッグの後遺症による心臓麻痺により移動の機内で死去。享年25歳。
Andy Fraser(アンディ・フレイザー) Bass
1953年7月3日、ロンドン生まれ。複雑な家庭事情の中で育ったため一人でギターやベースを学び、13歳で既にレゲエやR&Bをプレイしてライブ活動をする早熟なプレイヤーになっていた。ハマースミスの学校で同級生のアレクシス・コーナーの娘・サフォーと知り合い、その才能はアレクシスにも愛され、彼の紹介で15歳にしてBLUESBREAKERSに加入、路線変更で解雇された後はアレクシス・コーナーのバンドで活動を続け、更にニューバンド結成に動き出したコゾフ達を紹介され、FREE結成に至る。FREEにおいては少年時代から養ったファンキーなビート感とオリジナルなベースプレイ、また卓抜した作曲能力を発揮し、またビジネスセンスを活かしてマネージメントにも才能を見せる。
1971年最初の解散後はTOBYというバンドで短期間活動するが、コゾフの窮状を見かね、仲違いしたロジャースにFREE再結成を提案したのはアンディであった。しかしボロボロになってしまったコゾフ、相容れないメンバー間の軋轢には耐えきれず、再び脱退。その後はSHARKS、ANDY FRASER BANDとソロバンド活動を続けるが、次第に作曲家としての活動に移行していく。1984年、ソロ作Fine Fine Line発表後再び沈黙。
Simon Kirke(サイモン・カーク) Drums
1949年7月28日、ロンドン生まれ。13歳の時テレビで見たジャズの番組でドラマーに惹かれる。1967年に
大学入学資格を取得して高校を卒業後ロンドンへ行き、加入するバンドを探している時にBLACK CAT BONESに出会い、ポール・コゾフのギターにノックアウトされる。同バンドに加入。ブルーズロックを基盤にしたオリジナルサウンドをコゾフとともに模索しているときにロジャースの唄を聴き、コゾフにその感動を伝え新バンド結成を志す。FREEには常に身を置き、クセの強いメンバーの緩衝材となり屋台骨として温厚な性格と強い意志で最後までバンドを支えた。また独特のヘヴィなビートとワイルドなプレイでFREEサウンドの重量感を受け持ち、バラードの作曲にも光るものを見せるようになる。
解散後はロジャースと共にBAD COMPANYを結成、ロジャース脱退後も1986年からBAD COMPANYの活動を再開。ヴォーカリストを代えながら継続して活動し、現在はロジャースの復帰を得ている。
John‘RABBIT’Bundrick(ジョン‘ラビット’バンドリック) Keyboard
1947年米国テキサス生まれ。父親もカントリーミュージックのミュージシャン。1970年にヒューストンでBLIND FAITHとツアー中のFREEを初めて観て、メンバーと知り合い、「いつかは必ずこのバンドでプレイするんだ!」と決心する。最初のFREE解散の際、コゾフとカークが活動を再開する時に呼び寄せられ、コゾフ・カーク・テツ・ラビットとして動き出すが再結成により一時休止。再結成FREEからアンディの脱退により、山内 哲と共にFREEのラインナップに加わる。ハモンド、ピアノ、エレクトリックピアノを操るマルチーキーボーディストであり、作曲もヴォーカルも出来るので、FREEにおいて解散まで活躍した。FREE以降ではBACK STREET CRAWLERでコゾフを支え、彼の死後もCRAWLERと改名して活動、数多くのセッションワークで「ブリティッシュロック」の薫りを醸すために欠かせないミュージシャンとして活躍するが、何といってもTHE WHOのサポートメンバーとして良く知られている。
Tetsu Yamauchi(山内 哲) Bass
1947年福岡生まれ。マイク真木&マイクスで音楽活動を開始、ミッキー・カーチス&サムライで活動中に来日中のコゾフ、カークとスタジオで出会う。「意気投合した3人、コゾフとカークはもう決定していた解散の話を告げ、今後の活動へ参加を要請する。渡英してコゾフ・カーク・テツ・ラビットとして動き出すが再結成により一時休止。再結成FREEからアンディの脱退により、FREEへ加入する。アンディのプレイスタイルも好きだったが、もっとシンプルで重量感のあるプレイでFREEサウンドを支える。温厚な人柄と確実なプレイを評価され、FACESから脱退したロニー・レーンの後任として加入。FACES解散後に帰国、TETSU&GOOD TIME ROLL BANDなどで活動後、アヴァンギャルドミュージック〜フリージャズの方面でライブ活動をしている。