潔い解散  − by Kinoshita −

「FREEが一番好きなんですよ。」・・・アタクシはご存知の通り、FREEのコピーバンドでギターを弾いています。そうすると、必ず出会うのは、「ぬゎに〜ぃ、FREE、だとぉ?・・・オレはね、FREEにはちょっとウルサイぞ!」という、所謂「コダワリ派」のFREEファンの方々でありますな。大概はそこそこ年配の男性(私もおぢさんだが)の、若かりし頃はピュアなロックの熱心なファンであり、少年〜青年期にご自分もバンド活動されていたという方が少なくない。「いいねぇ!バンド名はなんちゅうの?へ?・・・と、TONS OF SOBS?・・・おいおい、よくもまぁ恥ずかしくなくてそんなモロな名前つけたもんだねぇ!」・・・いやいや、今の若いモンは知らないんですよぉ、センパイ!・・・どこか滑稽で微笑ましい、「酔っ払い中年お○ぢロック談義」は延々と続く訳ですな。こういうセンパイ諸氏と飲みながら話していると、FREEには必ず紛糾するテーマが・・・あるんだ!

オリジナルメンバーであり、メンバー中最年少にして「陰のバンマス」とも言われるアンディ・フレイザーが脱退し、ブリティッシュロック界で活躍した初の日本人ベーシスト・山内テツ氏が参加した彼等のラストアルバム「HEARTBREAKER」をFREEのアルバムとして認めるか否か、です。 「ぬゎんだとぉ!あぁーんなもん、俺は断じてFREEのアルバムとは認めんっ!貴様はどうなんだっ?あぁっ?」と突然激昂する方、「あぁ、あれも良いアルバムだよねぇ!あれ聴いてるとさぁ、今でも涙ぐんじゃう時があるんだよ、俺・・・。高校時代の思い出がいっぱい詰まったアルバムなんだよね。」と青春時代を振り返りながら、鼻の頭と眼の周りを赤くして語る方、さまざまです。・・・私はどっちのタイプの方も好きですが(笑)。

まぁ、アタクシ個人的には「公式作品として発表されている以上、彼等の正当な作品である。」という捉え方をしているのですが、反対派の心情もよく解ります。ロジャース御大本人が「オリジナルラインナップじゃないし、FREE名義では出したくなかった。レーベルにも掛け合ったけど、認めてはもらえなかったよ。」と言うくらいだからね。
当時から最高峰のバンドと評価されていたZEPの、オリジナルメンバーの死によって潔くバンドを解散するという決断に触れ、「音楽的なイニシアティヴを取り、メインソングライターの片翼でもあったアンディの脱退後、何故
にFREEは解散しなかったのだあああ!」という、潔しをもって宗とする日本男児の、ぶつけようのない遣り切れない気持ちはよく解るんですが・・・。

「FREE LIVE !」リリースと同時に解散を発表した彼等が、大した時間も空けずに再結成しちゃったのには理由があります。それはね、Kossが解散のショックから立ち直れず、心身共にボロボロになってしまったのを見かねたアンディ・フレイザーが、仲違いしたポール・ロジャースに「Kossを救うためには、もう一度FREEを再開して彼に活躍の場を取り戻させるしかないよ!」と提案したから、です。みんながKossに立ち直ってもらいたかった、それが、潔さも恥も顧ずに再結成に踏み切り、色んなものを背負いきれずにアンディが志半ばで脱退した後もFREEを続行させた理由だったのですよ。勿論、再結成の後はビジネス絡みでどうしても続けざるを得なかったというツライ側面もありますが・・・。再来日公演だって、ロジャースは「FREEという名前は使わないで来日したい。」と懇願しています。勿論そんなものは一蹴されてしまいます。
実際にこの「HEARTBREAKER」というアルバムでは、アンディが脱退したために曲の構造が大きく変化しています。歌メロ・楽曲主体の、ロジャースのソロ作と言えるような内容ですよね。純粋なFREEファンの、「曲は良いけど、この大きな変化は受容出来ない。」という意見には頷けるものがあります。

しかし、最愛の友の行く末を案じ、心の蟠りを水に流して再結集したものの、どうにも折り合わない。とは言っても、立ち上げた以上ビジネスは続くのです。どうやってそれに抵抗できようか・・・。先行して取り交わした契約書の束。これを反故にしたらどれだけの損害を覚悟せねばならないか。
みんな20〜24歳くらいの若僧だったんですよね。どんなに無力感と空しさを抱きながら活動していたかを思いやりたいものです。
「ほら、サイモン・カークってさぁ、下手ぢゃん。」・・・だぁとぉう〜?